
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 所在地 | 熊本県玉名郡和水町江田302 |
| 古墳の種類 | 前方後円墳 |
| 築造時期 | 5世紀後半頃 |
| 史跡 | 1951年 国指定史跡 |
| 現存する全長 | 62m (周壕を含むと77m) |
| 駐車場 | あり(無料) |
| 古墳まで | 第1駐車場から徒歩約5分 |
| 外部見学時間 | 約30分 |
| おすすめ度 | ★★★★★ |
内部見学について
江田船山古墳は、現地で石室内部を見学することができます。石室は保護施設の中にあり、内部には家形石棺が保存されているため、石棺を間近に見ることができます。
今回私は、和水町のガイドの方に事前に予約をして、江田船山古墳をはじめとする清原古墳群を案内していただきました。
ガイド料金は、私が利用した際は、ガイドさん1人につき1時間2,000円でした。
※ガイドの申込方法や料金、見学方法などは変更される可能性があります。訪問前に、和水町の公式サイトなどでご確認ください。
はじめに
今回は、和水町のガイドの方と一緒に、清原古墳群の一つ「江田船山古墳」を訪れてきました。
江田船山古墳は、5世紀後半頃に造られた前方後円墳です。
築造当時は、墳丘が3段に築かれ、墳丘の上には埴輪が並べられていたと考えられています。
墳丘の周囲には溝がめぐり、くびれた部分の左右には「造り出し」と呼ばれる部分があります。造り出しの周辺からは多くの遺物が出土しており、当時は何らかの祭祀や儀礼が行われた場所だったと考えられています。
豪華な副葬品を持ち、特に75文字の銀象嵌銘文が刻まれた大刀で知られる江田船山古墳。
ここに眠った人物は、一体どのような生涯を送ったのでしょうか。
古墳の周辺を歩きながら、1500年以上前の時代に思いを馳せてみませんか?
この記事では、江田船山古墳の現地の様子を写真でたどりながら、墳丘や石室の構造、出土遺物、見学時の注意点などを紹介します。
現地レポ|江田船山古墳へ向かう
古墳入口の案内板

江田船山古墳の入口には、「肥後民家村」と書かれた案内板があります。
案内板に従って進むと、江田船山古墳近くの駐車場まで車で行くことができます。
駐車場は、江田船山古墳に近い順に、
- 第1駐車場
- 第2駐車場
- 肥後古代の森(菊水地区)駐車場
の3か所があります。
江田船山古墳の近くにはトイレもあります。
まずは現地パネルで古墳の概要を学ぼう
肥後古代の森 菊水地区案内図は、江田船山古墳の東側にあります。敷地が広いので是非、地図で確認しておくことをお勧めします。
肥後古代の森 菊水地区案内図



菊水地区には、江田船山古墳だけでなく、虚空蔵塚古墳や塚坊主古墳、和水町歴史民俗資料館、肥後民家村など、古墳や関連施設が周辺にあります。
案内図を見ると、駐車場やトイレの場所も含めて、周辺の古墳や資料館、肥後民家村などを合わせて巡ることができる地域だということが分かります。
江田船山古墳
江田船山古墳の概要パネルは、京塚古墳と江田船山古墳の間の垣根にあり、実際の墳丘を歩く前に概要を知ることができます。
史跡の概要

江田船山古墳は、清原台地に築かれた前方後円墳です。
この台地には、江田船山古墳のほかにも、5基以上の古墳が築かれていたと考えられています。
古墳内部に納められた家形石棺からは、多くの副葬品が出土しており、江田船山古墳は5世紀後半頃、約1500年前に築造されたと考えられています。
江田船山古墳復原墳丘

この模型は、発掘調査の結果などをもとに、江田船山古墳が築造された当時の姿を推定して復原したものです。古墳全長約77m(墳丘長約62m)、古墳全幅約56m(前方部幅約40m)、後円部径約41m。
江田船山古墳は、長い年月の間に形が変化していますが、築造当時は墳丘の斜面が三段に分かれ、葺石が施されていたことが分かっています。また、墳丘の上には埴輪が並べられていたと考えられています。
古墳の周溝・出土遺物・整備

周溝とは、墳丘の周囲を巡る溝のことです。墓域をはっきりさせるために掘られることが多かったと考えられています。
江田船山古墳の周溝は、発掘調査によって、深いところで2.6m、浅いところで1.7mあることが分かりました。
古墳の保存と整備のため、平成元年には家形石棺の保存施設工事が行われ、平成2年度には、築造当時の古墳の大きさが分かるよう、周溝の調査と墳丘の整備が行われました。
また、家形石棺からは200点を超える貴重な遺物が出土しています。これらの出土品は、江田船山古墳が全国的に知られる大きな理由の一つとなっています。
発掘の歴史・造り出し部の発掘調査

江田船山古墳が最初に発掘されたのは、明治6年(1873年)です。家形石棺からは、貴重な副葬品が多数出土しました。
その後、大正6年(1917年)には浜田耕作・梅原末治両氏による調査が行われ、江田船山古墳の研究が発展していきました。
昭和60年には周溝の調査が行われ、周溝の位置や深さが明らかになりました。さらに、墳丘に「造り出し」と呼ばれる部分があることも分かりました。
この造り出しのそばからは遺物がまとまって出土しており、造り出しは儀式の場として使われたと考えられています。
また、家形石棺の入口はこの造り出しの方向を向いていることから、造り出しから石棺へ向かう墓道があったと考えられています。
江田船山古墳の家形石棺 ※ガラス窓越

阿蘇凝灰岩を切石にして組み合わせた石棺で、家形の蓋(屋根)が載せられています。屋根には前後に丸い縄かけ突起があり、石棺の一方には入口が設けられ、板石で塞ぐ構造になっています。
石棺は長さ2.2m、幅1.1m、高さ1.45mで、内部はベンガラで赤く塗られています。阿蘇溶結凝灰岩を使った石棺は、菊池川流域で作られ、瀬戸内海を経由して近畿地方まで運ばれていました。
江田船山古墳では、出土品や副葬品の分析から、5世紀後半から6世紀前半にかけて、3人の人物が順に葬られたと考えられています。
そのうちの一人は、「銀象嵌銘大刀」の銘文に登場する「无利弖」ではないかとの見方もあります。
また、朝鮮半島の三国時代に関係する遺物なども出土していることから、当時の江田船山古墳の被葬者は、海外との交流にも関わった有力な人物だったと考えられています。
なお、この石棺は熊本地震などで被害を受けたため、現在は保存のための補強が施されています。
江田船山古墳から出土した副葬品(東京国立博物館所蔵)

江田船山古墳から出土した副葬品には、日本国内で作られたものだけでなく、韓国や中国で作られたものも多く含まれており、当時の国際交流をうかがうことができます。
また、冠帽・沓・耳飾りなどの優れた工芸品は韓国からの輸入品と考えられており、6面の銅鏡のうち5面は中国製です。このほかにも、轡、鐙、兜、鎧、刀、剣、矢じり、勾玉、管玉、ガラス小玉など、さまざまな副葬品が出土しており、江田船山古墳の出土品のうち92点が国宝に指定されています。
銀象嵌銘大刀(東京国立博物館所蔵)

江田船山古墳の出土品のうち刀剣類は、大刀11口、剣6口、鉾身3口、銀刀装具などが出土しています。刀や剣をはじめ、多くの鉄製品が出土していることも、江田船山古墳の特徴の一つです。
国内で作られたものの中でも特に注目されているのが、75文字の銘文と菊花紋、ペガサスが銀象嵌された大刀です。この大刀に銀象嵌された文字は、日本最古の文字として、稲荷山古墳の鉄剣や隅田八幡神社鏡と並び高く評価されています。

大刀の根元に馬と12弁の花形の模様があります。馬は羽の生えた天馬(ペガサス)で、躍動する姿が的確に象嵌されています。

茎(柄の部分)が失われていますが、全長約90cm、刀身部の最大幅4cm。1991年度(平成3年度)に行われた大刀の修理で、反対側に魚と鳥が発見されました。
塚坊主古墳

1951年、国指定史跡。江田船山古墳の被葬者の直系の子孫のお墓と言われています。
墳丘

塚坊主古墳は、全長43.4mの前方後円墳です。後円部の直径は29.6m、前方部先端の幅は20mで、前方部は左右対称ではありません。
墳丘の周囲には、幅4.6~6mの周溝が巡り、周溝を含めた全長は54mになります。現在残っている墳丘の高さは後円部で約4.5mですが、本来は5.5~6mほどあったと推定されています。
開墾などによって形が大きく変わっていた墳丘は、発掘調査の成果をもとに復原されています。
主体部

塚坊主古墳には、前室と後室からなる複室構造の横穴式石室があります。
後室の奥壁には、主たる埋葬施設である石屋形があります。石屋形の前には、仕切石による屍床が設けられています。
石屋形の蓋石は家形で、その内面には赤と白の2色で、円文・三角文・菱形文などが描かれています。
石室の側壁には安山岩の割石が使われ、上部はドーム状に積み上げられていたと考えられています。
また、古墳の南側には、後室と前室の天井石と思われる巨石が展示されています。
このような形式の石室は「肥後型石室」と呼ばれ、熊本県を中心に分布しています。

「塚坊主古墳の石室天井石」
出土遺物

周溝からは、円筒埴輪や人物・鳥などの形象埴輪、須恵器などが出土しています。これらは古墳の年代を知る手がかりとなり、塚坊主古墳は6世紀初め頃に築造されたと考えられています。
石室の内部は何度か盗掘等を受けていましたが、平成2年の発掘調査により四獣鏡や金環・銀環、ガラス玉、馬具、直刀、刀子、鉄鏃、鉄滓なども出土しました。
さらに、この古墳は中世に墓として再利用され、火葬骨や青磁、土師器、石塔の相輪なども見つかっています。
塚坊主古墳の装飾模様

古墳の石棺や石室、横穴などに彩色・線刻・浮彫りなどで模様を施したものを「装飾古墳」と呼びます。
塚坊主古墳では、横穴式石室の後室にある石屋形の奥壁と左右の壁の内面に装飾が描かれています。
奥壁には、3個の円文と、三角文・菱形文を組み合わせた幾何学的な模様が描かれています。左右の壁にも円文や三角文、菱形文が見られますが、右壁は色あせており、細部は分からなくなっています。
使用されている顔料は赤と白の2色で、赤には赤味の強いものと茶色味を帯びたものがあります。赤は酸化鉄、白は白粘土が原料と考えられています。
こうした幾何学文は比較的古い装飾古墳に多く見られます。何を表したものなのかは分からない部分もありますが、死者の魂を鎮めたり、邪悪なものを祓ったりする意味が込められていると考えられています。
塚坊主古墳の家形石棺と装飾 ※ガラス窓越

装飾古墳は、全国に約849基存在するうち約212基が熊本県にあり、なかでも菊池川流域においては117基も密集しています。
塚坊主古墳は、6世紀中~後半に造られたものと言われ、近隣では山鹿市のチブサン古墳と類似した構造になっています。チブサン古墳も代表的な装飾古墳で、石棺の内外に幾何学的な文様や、抽象的な絵画を施しています。特徴的な赤色の顔料はベンガラ(阿蘇黄土)が使われています。
塚坊主古墳は通常は施錠されており、自由に見学することはできません。年数回の公開日には、ガラス越しに玄室を見学することができます。今回は観光協会の有料ガイドを申し込み、ガイドの方に案内していただき、石室内部を見学しました。
虚空蔵塚古墳

1951年、国指定史跡。周溝から出土した埴輪などから、6世紀前半に造られたと考えられています。
整備前は墳頂に虚空蔵菩薩がまつられていたことから、「虚空蔵塚古墳」と呼ばれています。
古墳の概要

虚空蔵塚古墳は、昭和50年度の調査によって前方後円墳であることが確認されました。墳長は44m、後円部の直径は38m、高さは5.8mあります。前方部の高さは分かっていないため、平面形をもとに一部が復原されています。
石室など内部の調査は行われていないため、内部の構造は分かっていません。一方、墳丘からは円筒埴輪や人物埴輪が見つかっており、墳丘に埴輪が立てられていたことが確認されています。
京塚古墳


江田船山古墳に隣接する、5世紀後半の円墳です。
周溝内からは多数の円筒埴輪が出土しており、古墳の北側からは石人・腰掛形石製品・家形石製品も発見されています。

※熊本県玉名郡和水町歴史民俗資料館に展示されている武装石人。
江田穴観音古墳

1944年、国指定史跡。築造時期は7世紀と推定されています。
羨道の左壁の奥には、赤色顔料による装飾文の痕跡が確認されており、装飾古墳であることが分かっています。

江田穴観音古墳は、諏訪原台地の端にある緩やかな斜面に築かれた古墳です。周囲の開墾などによって形が変わっていますが、もとは直径約25mの円墳だったと推定されています。
石室は全長8.4mの大きな複室構造で、羨道部・前室・奥室からなります。阿蘇凝灰岩の大きな切石を巧みに組み合わせた構築方法が特徴です。
前室には2区、奥室には3区の屍床が設けられています。奥室の「コ」字形の屍床は、肥後独自に発展した形式です。
古くから石室が開口していたため、出土遺物は多くありませんが、金銅製杏葉などの馬具、金冠、ガラス製勾玉が知られています。
和水町歴史民俗資料館

江田船山古墳の出土品などを見学できる、和水町歴史民俗資料館にも立ち寄りました。
館内には、江田船山古墳から出土した遺物のレプリカを中心に、和水町内の文化財資料が展示されています。
江田船山古墳の出土品は、その多くが国宝に指定されており、現在は東京国立博物館に展示・保管されています。

古墳メモ
江田船山古墳は「夢のお告げ」から発見された?
熊本県立図書館が所蔵する公文書「官省一途」には、江田船山古墳が発見された経緯が詳しく記録されています。
それによると、江田村石場地区に住んでいた池田佐十は、夢のお告げを受けたことをきっかけに、1873(明治6)年1月4日、自分の所有地だった船山を掘り、多くの遺物を発掘したとされています。
このことは白川県(現在の熊本県)の知るところとなり、県から明治政府へ報告されました。その後の協議によって、発掘されたものは国が一括して80円で買い上げることになりました。
当時、米1俵(60kg)が約1.2円だった時代です。
80円という金額からも、発見された遺物がどれほど重要なものだったのかがうかがえます。

撮影ポイント
・古墳の西側から撮影すると前方部と後円部が入り、石棺覆屋も撮影することができます(江田船山古墳)。
・携帯でガラス窓越しに写真を撮る時は、携帯を窓ガラスにピッタリつけて撮るのがコツだそうです。

注意ポイント
・肥後民家村の入口には自動販売機があり、園内には雑貨屋や飲食店、歴史民俗資料館などがあります。飲食店は営業日や時間が限られているため、利用する場合は事前に営業状況を確認することをおすすめします。
・肥後民家村のすぐ近くには、物産館やコンビニなどもあります。

アクセス
【車】
菊水インターチェンジから車で約5分です。
駐車場は無料です。
【新幹線+バス】
九州新幹線、新玉名駅から、産交バス(山鹿行き)に乗車(約15分)⇒「菊水ロマン館前」下車
【JR+バス】
JR鹿児島本線、玉名駅から、産交バス(山鹿行き)に乗車(約15~20分)⇒「菊水ロマン館前」下車。
※曜日やダイヤ改正で変わる可能性があるため、訪問前に最新の時刻表をご確認ください。

持ち物
・飲み物
・虫よけスプレー
・帽子
・歩きやすい靴
・携帯電話
・タオル
周辺の見どころ
古墳周辺には、あわせて立ち寄りたい場所があります。
【若園貝塚】
江田船山古墳から車で約2分のところにある、約4,500年から3,000年前の貝塚です。
関連する古墳
【岩戸山古墳】福岡県八女市
石人文化の広がりや、地域間のつながりを考えるうえで、あわせて知っておきたい古墳です。
まとめ

ガイドの方は、さまざまな歴史書を読み解いておられ、古墳について幅広い知識をお持ちでした。
菊池川流域に装飾古墳が多いことについては、米作りや灌漑工事が盛んだったこととの関係から、土の捨て場が古墳として利用された可能性についてもお話を伺いました。
また、「狗奴国は九州にあった説」など、ガイドの方のフィルターを通した歴史のロマンも交えながら、難しい考古学を分かりやすく、楽しく教えてくださいました。
塚坊主古墳は通常は施錠されており、自由に見学することはできません。今回は観光協会の有料ガイドを申し込み、石室内部まで見学できたことは、とても貴重な体験となりました。
※ガイドの実施内容・見学できる古墳などについては、和水町観光協会へご確認ください。
読者へのひとこと
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
江田船山古墳へ行ったことはありますか?
現地で気づいたことや、おすすめの古墳があれば、ぜひコメントで教えてください。

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